去年の転院まで
おはようございます。
去年を振り返っています。
2016年12月26日までのこと。
21日頃だったでしょうか。12月26日に転院が決まったと言われました。
急性期の病院は近くで新病院を建設中とあってとても古い。大学病院なので医療に関する機器は最新なのでしょうが、病棟は個人が使える冷蔵庫もなく、シャワーは「熱っ」と思って温度を下げると水になり、窓は開けると閉まらなくなり。なかなかのものでした。
医師、看護師、リハビリのセラピスト、他のスタッフさんにもとてもお世話になったし、ご飯も美味しかったし、不満はないけれど、なにしろ古かった。
転院先は開院したばかり。できて1年も経っていないようで、「今度はきれいだよ~」と沢山言われました。
楽しみでしたが、 それでも環境が変わるし、「リハビリ病院はスパルタだから頑張ってね~」と言われていたので25日の夜は手術前日並に眠れませんでした。
電車のドア脇
こんにちは。
現在の日記です。
調子が悪くて困っています。来週は2回ほど電車に乗りそうなので、調子を上げたいです。
多少の不自由がある状態で退院してから7か月。少しずつ行動範囲が広がってきました。頼りはT字杖と足の装具。
今の私
- つり革では揺れに絶えられない
- 縦の棒に身体を預けられればなんとか立てる
- ドア脇の角が空いていればだいぶ安心して立てる
でもドア脇の角、みんな好きですよね。混んでるとドアの開閉の度に乗り降りが必要だけど、私も昔から好きです。
数駅だと立ち座りも大変なので、最近の私はまず角を探します。
優先席ならぬ優先角あれば良いのにとも思うけどわがまますぎるし、自分がもっと鍛えれば良いだけですね。
がんばります。
去年の12月後半
おはようございます。
去年を振り返っています。
2016年12月後半このこと
リハビリ病院への転院を決めました。何の知識もない私はソーシャルワーカーさんとお話ししてもわからないことばかり。
転院先には事前に夫が見学に行く必要があり、結局夫が決めてくれました。見てきた夫が色々説明してくれるけど、あまり理解できませんでした。
入院中の急性期病院にはだいぶ慣れて、でも検査も概ね終わり、転院先のベッドが空くのを待つ日々でした。主治医、担当医はずいぶん気にかけてくれて、体を思うように動かせないことを申し訳なく感じていました。
自分が歩けないからと、同室の患者さんがスタスタ歩く足音に苛立ちを感じたり。シャワーが週2回しか浴びられず、でもその度に消耗して具合悪くなったり。
そんな中、ようやくクリスマス後に転院が決まりました。
去年の12月前半
おはようございます。
昨年を振り返っています。
2016年12月のこと。
入院生活に慣れては来たものの先が見えなくてイライラが募ります。主治医からはリハビリ病院への転院を提案されましたが、私はもう「家に帰りたい」としか考えられません。
そこで、夫が赴任先から戻る週末に試験外泊してみることに。「家に帰ってみて、自宅で暮らせそうか確認してみて」とのことでしたが、結果、何もできず転がっているだけの自分を思い知ります。
私に自分の状態の理解を促すための外泊だったのかもしれません。あきらめがつきました。転院を押し付けずに、理解させてくれた医師には感謝しています。
外泊から戻って、転院を希望することを伝えます。
12月前半のことです。
去年の11月20日~
おはようございます
去年を振り返っています。
2016年11月20日以降のこと。
原因不明につき日々検査。術後すぐではないので、手術ミスでないことは確かです。そして発症後数日でリハビリが始まりました。リハビリってなんのこと?温泉?程度の知識しかありませんでした。
このあたりで私も現実と直面します。しばらく歩かなかったので、手のことばかり気になっていましたが、リハビリをはじめると、右足がいうことをききません。えっ…?
そして右手も…。
OT 「これやってみましょう」
おくおく「はい(バカにしてる?こんな簡単 なこと)」
そして全然できないという繰り返し。ショックが大きくて。まだまだ受け入れられなくて日々呆然としていました。
点滴が続く、寒い、頭痛い、シャワーも浴びられなくて私汚い、退院予定日はとっくに過ぎた、夫も赴任先に戻った、会社にも連絡をしなくては、いつ頃復帰できるのかわからないけど、とにかく11月中は戻れそうにない。
しかも車イス生活なので一人では会社に電話をかけにいくこともできず。急性期病院の忙しそうな看護師さんに「すみません。可能な時間帯があれば通話できるエリアまで連れていってください」と朝からお願いすることも申し訳なくて。
色々なことがつらかった。